久しぶりに読書している。

最近の読んでいる本について。あるいはその他のこと。

「カラマーゾフの兄弟(中)」 ドストエフスキー 新潮文庫

よくわからない、やや退屈な上巻から一転して怒涛の展開へ。あまり長さを感じることなく読み終えました。

 

長老の死からアリョーシャ闇落ちかと思わせつつ立ち直り、そしてドミートリイは愛する女性のために奔走するも、生来軽率で暴力的なため、成り行きで小間使いの老人の頭をかちわってしまう。

 

ところがその老人は命を取り留めた一方、フョードルが殺されており、ドミートリイには身に覚えのない父親殺害の嫌疑がかかる。必死に弁明するも、あまり理性的でない彼は発言の整合性が取れておらず、日ごろの言動からも不利な証言ばかりが出てくる。

 

ところでロシアにも芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と似た話があるようで、蜘蛛の糸の代わりに葱につかまって地獄から出ようとするもやはり追いすがる罪人たちを蹴落とそうとして葱が切れてしまう、というのが結末。

「自選 谷川俊太郎詩集」 岩波文庫

とても有名な人なので、一回読んで見ようと購入していた本。ちびちびとしか読み進められなかったので時間がかかった。

 

作風のつかめない人、という印象である。子供向けに全部ひらがなで書いた詩もあるし、いろはかるた風のもの、長い散文もあった。わけのわからない詩を読むと、おふざけの好きな人なのかなという気がするし、やっぱり自分の詩心のなさを感じた。

 

ところが、著者と親しい編集者の書いた巻末の解説がとてもわかりやすかった。谷川俊太郎は三度も結婚しており、その時の環境や生活が詩にも反映されて、なるほどそういう経緯があったのかと興味深く感じた。女性とうまくいっている時の詩、苦しんでいる時の詩、いろいろ収録されているということなのだろう。

 

あと2冊、読みかけの詩集が残っている。何で買っちゃったんだろうな、なかなか感動するには至らないというのに。

「幸福論(第二部)」 ヒルティ 岩波文庫

大変に濃い内容で、気になる所をノートに控えながら読んでいたらものすごく時間がかかってしまった。

 

世の人の考える幸福とはかなり乖離があり、最終的に神とかキリストとかの話題を抜きにしては語れなくなっている。一般的な人生論と異なり、宗教色がものすごく強い。

 

生きている中で、何度か極めて苦しい体験をした者、あるいは絶望したことのある者にしかわからないようなくだりも多々ある。読んでいて大いに励まされたが、精神的な価値や内面の成長といった事柄に関心のない人にとっては受けつけないかもしれないと思う。そういう意味では人を選ぶ。たとえば、聖書に全く興味のないような人は読んでも得るところは少ないかと。

 

正直、アランやラッセル、あるいはショーペンハウエルの幸福論は2回読もうとは思えなかったが、ヒルティのものは時間さえあれば何度でも読みたい。とりあえず次は第三部に進む。

「舟を編む」 三浦しをん 新潮文庫

2012年本屋大賞受賞作。実はあまり期待していなかった。辞書を作る話が面白いのかな、と。ところが、予想に反して極めて速いスピードで読み終えてしまった。

 

途中、まじめ君とかぐやさんがスムーズにつきあいだした箇所は、どう考えても納得いかんぞと思いながら、まあ所詮小説だからな・・・とあまりこだわらないことにした。読み終わってもやはりその部分には無理があったような気はするが。

 

ただ、まじめ君のラブレターの中身を、10数年後に編集部で女性社員が見つけることになるのだが、そのくだりは笑いが止まらなかった。久しぶりに腹の底から笑ったと思う。最後に辞書が完成し、初期からかかわっていた学者の遺した手紙には感動を覚えた。

 

本当に良いものの背後には、人生をかけて仕事をしている人の努力がある。現代日本でだんだん失われている気がするそうした美点も、まだまだ人目につかないところで残っているに違いない。

「砂の女」 安部公房 新潮文庫

ホラーのような小説だった。情景がなかなか思い浮かばなかったが、深い穴ぼこのような場所にある家に、騙されて囚われてしまった男の話。しかも常に砂まみれで生活しなくてはならないし、そこにいた女は生気がなく外に出ようという気がなかった。

 

読んでいるうちに、なんだかわれわれ一般の結婚生活の失敗例の一つの比喩なのではなかろうかとさえ思えてきた。最初は嫌でたまらない環境も、年月が経つにつれ何も考えずそれなりに適応していく様子は社畜にも通じるかもしれない。ドナルド・キーンの解説がわかりやすくてよかったが、けっこう読むのはしんどかった。

「ツナグ」 辻村深月 新潮文庫

死んだ人間に一度だけ会うことを仲介する「使者(ツナグ)」。それについてはファンタジーであるが、もしそういったことができたとしたら人は誰を呼び出し、どう感じるのかといったことについては細やかに描写されていて、違和感を感じなかった。

 

特に印象的だったのは「親友の心得」。女子の友情というのは複雑なもので、嫉妬やマウンティング、さらには憎悪を内包していることもあるが表面上はわからなかったりする。本作では、死んだ子は呼び出した親友に懺悔の機会を与えていた。しかし結局それはなされなかったため、さらなる悔いを相手に植えつけて再会は終わることとなる。

 

最後の章で使者の側からの視点で伏線回収が行われる。能力継承のルールが明かされ、使者の両親が不審死を遂げた理由もわかっていく。最後はすっきりとした気持ちで本を閉じることができた。

 

一冊読み切るのにけっこう日数がかかるようになってきた。現代の国内小説は進みやすい方だが、一冊一気にといったことはもうできない年齢だと諦めている。

「雪国」 川端康成 新潮文庫

没後50年ということで新装版なのだそうだ。確かに令和四年六月一日新版発行とある。

この本も、タイトルの他は出だしの一行しか知らなかった。

 

古い作品なので、用語にわからないものはあるが全体としてとても読みやすい。駒子や葉子といった登場人物の女性がとても美しいとされているので、雪国の描写と相まって全体的に美しい作品。のみならず、卑俗な言葉を使えば最初から最後までエロいとも言える。

 

美人芸者の駒子が年に一度しか会えない妻子持ちの島村という男に惚れこんでいるので、福山雅治のようなイメージで読んでいたが、途中で「小太り」という説明があったので一気にイメージは崩れた。彼にどのような魅力があったのかわからないが、とにかく駒子の方が入れあげている。

 

駒子が芸者になった経緯や、葉子と駒子の関係性など結局はわからなかった。また、島村が「君はいい女だね。」と言ってしばらくしたあと、突然駒子がそれに反応して泣き出した(島村は駒子の「聞きちがい」と思った)件についても疑問は解消されなかったが、もろもろひっくるめても読んで楽しめた気がする。